尾原和啓×けんすう対談『物語思考』を語り尽くす(前編)
こんにちは!
9月6日、僕のはじめての書籍『物語思考「やりたいこと」が見つからなくて悩む人のキャリア設計術』が発売になりました!
今回は、IT批評家尾原和啓さんのオンラインサロンで、『物語思考』について対談した模様の書き起こしを3回に分けて紹介します!
※本対談は2023年8月21日(月)に行われました
なりたい自分から逆算してキャリアを描こう
尾原:こんばんは。ついにけんすうさんが4〜5年越しでこの場所へ到達しました。『物語思考』、予約開始おめでとうございます。というわけで、けんすうさんに来ていただきました。ありがとうございます。
けんすう:よろしくお願いします。古川です。
尾原:『物語思考 「やりたいこと」が見つからなくて悩む人のキャリア設計術』、誠実な本で僕びっくりしました。
けんすう:そうですか。どの辺をそう思っていただけましたか。
尾原:本当にね、これ「ほんとに実行する人がいたら、ほんとにうまくいくと思う。」という糸井重里さんの帯通りだと思う。けんすうさんが人に説明する時は、どういう本って説明しているんですか?
けんすう:やっぱりやりたいことではなくて、なりたい自分から逆算してキャリアを描くといいと思うのでそのやり方を書いています、みたいなのが一番シンプルな説明ですね。
尾原:僕たちがこの手のいわゆる自己啓発本や、ネットの時代での成長といった本を書くと、10人中4人くらいから言われる質問が、「やりたいことが見つかっていないんです」「わからないんです」なんだけれども、そこに対して全く逆の方向から、なりたい自分から考えると。
けんすう:そうですね。尾原さんが今おっしゃったようにこういうビジネス書を出したり講演会をやる人が一番聞く質問が、「やりたいことが見つからない」だと思うんですね。
ただ大体の人には「なんかすごくやりたいことが見つかって、それが見つかった瞬間に夢中になって、大量の時間を投下できて、それでうまくいく」みたいな妄想があるので、それをやる前から求めても、やったことないのにわからないので。
尾原:そうだよね、わかるわけないじゃんね。
けんすう:そうなんです。これはもう仕方がなくて、ただ全員がそこでハマっちゃってると。
一方で、成功している人、例えばクラシルをやっている堀江(裕介)社長とかは、いろいろやった中で料理の動画が来そうだっていうのでやってみたところハマったので、それをやり続けてるみたいな流れなんですね。
だから最初から料理動画をやりたいなんて多分思っていなくて、複数の事業をやった上でうまくいったものを今は力を入れてやっているって感じなので、そちらの方が自然なんです。
尾原:実はやりたいことが最初から決まっていたっていうよりは、やりたいことないしはやるとインパクトがあることに出会えたから、そこに合わせて自分をチューニングしているっていう起業家、結構多いですよね。
けんすう:そうですね。ずっと別のことをやっていたけどピボットした瞬間そちらに集中してやるっていうのはよくあることなんだけど、「やりたいことをやりましょう」と結論に達した人から言われると、最初から「これがやりたいことだ」と気づけるんじゃないかという風に誤解してしまいます。
やりたいことから見つけるのは多分うまくいかないので、なりたい状態から逆算するといいんじゃないかというのが一つの出発点です。
尾原:確かに今言われて思うのは、堀江さんもなるべきキャラみたいなことを先に身にまとっていたかもしれないです。割とビッグビジョンで、大胆な打ち手をどんどん提案していきますみたいなキャラをやっていますよね。
ヤフーとの見事な資本提携を実現したりだとか、確かにやりたいことっていうよりは「起業家としてでっかいことをやるのってこういうキャラだよね」っていうのを演じていたところが結構多かったですもんね、あの人も。
けんすう:そうですね。これはまさにその通りで、例えば初期の頃は何者でもない起業家なので、逆に偉い人にちょっと噛みつくみたいな、若いけどすごく尖っているみたいなところから彼のキャリアは始まっているんです。
「ジャイアントキリングするぞ」みたいな。ただ、うまくいき始めてからは、むしろそういうのはやめて、元に近いと言えば近いような謙虚なキャラに戻して。
大企業であるヤフーの傘下に入ったら、ちゃんとその中で子会社の社長としては何をすべきかを考えて、ちゃんとキャラを変えているからうまくいったんですね。
初期の噛みつく狂犬キャラを無自覚に続けていたら、普通に潰されちゃったりとか邪魔されたりするのを、ちゃんとやっているってところが彼のすごいところだと思います。
そういうところをやったほうがいいんじゃないかなと。なりたい状態って探しやすいんですよ。なりたくない状態っていうネガティブな方から考えられるので。
尾原:外枠を埋めてくってことだよね。
けんすう:そうですね。「なりたくない状態はありますか」って言うとみんな、満員電車に乗りたくないとかポンポン出てくるので、そこから埋めていくという作業ができるので、まずやりたいことを探すよりは楽なんじゃないかなと思ってますね。
尾原:だからやりたいことよりはやりたくないことを埋めていくと、やりたくないことをやらなくていい存在って、どういう人なんだろうと考えられる。そうすると必然的にそのキャラクターに対して物語を動かしていくみたいになっていくわけです。
ストーリーにすることで物事は動き出す
尾原:すごいおもしろいなと思ったのが、この本は物語思考をどういう風にやっていくかっていうのを5つのステップでまとめているじゃないですか。
これって何でこんなにうまくシンプルにまとめられたのっていうのと、この5つはどんな経緯があって絞り込まれたんですか。
けんすう:そうですね。その内容を説明するというよりは、出発点の話かなと思うんですけれど、まず何で物語にしたかっていうと、『ストーリーが世界を滅ぼす』みたいな本があるんです。
人間って、やっぱりストーリー仕立てじゃないと理解ができないっていうのがあるらしいんです。
尾原:はい、そうですね。
けんすう:あとはコテンラジオとかでも言われるんですけど、やっぱり人間はストーリーを理解をする生き物だと。
陰陽師の回があるんですが、何を話しているかというと、現代人からすると陰陽師ってオカルトチックで、昔の人はああいうのを信じていたなんてバカだよねって思いがちなんですけど、当時からするとやっぱり最新の科学技術みたいな感じで、ロジック的にはもう完璧に通ってるんですよ。
当時からしたらこれが最先端の考え方だったんですね。なんでそれを信じてるかというと、最初から最後までロジックがしっかりあるので、そのストーリーを理解するとそれが正しいように思えるんです。
僕らから見るとバカにしたくなるけど、多分僕らも同じことをやっています。科学ってこうだよねとか宇宙ってこうだよねとか、死んだらこうなるよねみたいなものについて、僕らが信じているストーリーがあるじゃないですか。
でも100年後から見たら、「あいつら死んだら無になると思ってたぜ」みたいに笑われる可能性も全然あるというぐらい、やっぱりストーリー仕立てが一番人間にとって納得度が高いだろうっていうのが一つの前提ですね。
尾原:陰陽師の時代は世の中に疫病が流行って、理不尽に人が死んでいました。その理不尽な点にどう僕たちは対峙していくかっていう、その理の流れっていうのが元々の陰陽師です。
そのストーリーを共有することでみんなが苦役に共通の物語を持っているからこそ、立ち向かうことができるし、そのために開墾をやって、という話が生まれるんです。
けんすう:完璧です。そうですね。
尾原:それって『サピエンス全史』みたいな話で言うと、そもそも虎のように牙があるわけでも象のように体が大きいわけでもないのに、なぜ僕たちがこの地球上にはびこることができたのかは、共通の物語を持つことができたからなんですね。
複数のグループが集団で一つの目標を共有することができて、それによってその大きな動物を罠にはめ込むことができたり、川を開墾して洪水が起きないようにしたり、物語に変換することによって大きな何かを成せるようになるという話があります。
それを個人に適用したってことですか。
けんすう:そうですね。まさにサピエンス全史だと「虚構革命」と言われたりしますね。
けんすう:「私たちは水の妖精の加護にある民だから、あの部族に勝てる」みたいなストーリーがあるとまとまるよね、みたいなことなんですけど。
おっしゃる通り自分の人生でも、「こういう物語だよね」っていうのを信じた方が、エネルギーが出るだろうみたいなのが1点目のポイントです。
「キャラクター思考」にしなかったこだわり
けんすう:2点目が、なぜこのステップなのかって話になるんですけど、漫画家さんに聞くと、物語ってストーリーの組み立てから入ることよりは、キャラクターから入ることのほうが多いと。
尾原:キャラクターが勝手に動き出すっていう言われるやつですね。
けんすう:極端な例だと、格闘漫画の『刃牙』(※『グラップラー刃牙』シリーズ)とかは、作者の方も、キャラ同士を戦わせてみたら「あ、こいつが勝つんだ、びっくりする」みたいな予測ができないとおっしゃってたりとか。
キャラクターが一番大事っていう漫画家さんとか編集者さん、すごく多いんですね。
なので、物語として自分の人生を考えようって思った時も、やっぱり自分のキャラクターをどう設計するかが一番重要だし、キャラクターさえ決まってしまえば実は物語って勝手に転がっていくんじゃないかなってところがあるので。
さっき話した、「やりたいことじゃなくてなりたい状態を探そう」っていうのと、「物語理解が人間には効きやすいエネルギーになるよね」ってところと、「キャラクターから設定すると勝手に動くよね」っていうのをミックスして書いたっていう本ですね。
尾原:そこで「キャラクター思考」じゃなくて、「物語思考」にしてるっていうのは何のこだわりがあるんですか?
けんすう:これは本当に考えました。キャラだよねって方向かなと思ったんですけど、キャラを決めて行動した時に、どこかしっくりこないなと思ったんですよ。
結局、「行動することで、その行動がまたキャラにフィードバックされる」と本にも書きましたけど、人間が自分をどう認識してるかというと、他人を評価するのと同じように評価してるんですよ。
自分の事って自分でわかってるような気がするけど、隣にいる人が「この人こういう行動してるって事は優しいんだ」みたいなのと、同じように自分のことも評価してるらしいんですね。
結局はキャラを決めても行動が伴わないと、キャラがぶれてくるというか納得度が下がっていくし、逆に行動が伴うと「自分はこういうキャラなんだ」って考えられるようになると思ったので、キャラが動く物語の部分まで入れないといけないかなと思いました。
尾原:なるほどね。キャラクターがトリガーになるけれど、そのキャラクターによって周りの反応が変わることで、物語も変わっていくし、何よりも自分が変わっていくから、その変化を楽しんでいきましょうっていう話なんですかね。
けんすう:そうですね、僕も起業家になりたいとか思ったことないけど、大学時代からたまたま起業して、起業するとみんなから学生起業家として扱われるわけで、そのうち「自分は起業家なんだ」みたいな気持ちになって、行動も変わるというのをすごい感じてます。
こういう場で話すみたいなことも昔は想像できてなかったし、人前でしゃべるのはめっちゃ苦手と思ってたので。
けど、起業家としては話さなきゃいけない機会は多いし、それでたくさん話すようになると、あの人は人前で喋る人だって扱いをされるようになって、というふうになっていくので。
尾原:そういう場面が増えて、打席が増えると徐々に打率も上がっていくし、何よりも自分がこういう起業家という仮面をかぶりながら喋っているから、本来自分のキャラじゃないような能力も伸びたりするしね。
けんすう:僕、高校の時の夢みたいなものを書いて、冷蔵庫とかに貼ってたんですけど。
尾原:「サラリーマン」ってわざわざ貼るんだ、冷蔵庫に(笑)。
けんすう:「頑張ってなれるのがそこくらいだろう」っていう認識があったんでしょうね。
尾原:僕ら、頑張ってないとサラリーマンになれないからね(笑)。
けんすう:頑張って大学に入って会社員になれればっていうのを高い目標として掲げていたぐらいなので、起業するとか人前でしゃべるとか、そういうのは考えたこともなかったですね。
尾原:そういう意味で、5ステップがすごいよくできてんなっていうのが、そもそもなりたいキャラクターというのが、今言ったように、高校生のけんすうだと起業家っていうキャラクターがそもそも出てこず、サラリーマンというキャラクターが出てきちゃうわけですよね。
だからそもそもなりたいキャラクターを設定するためには、なりたいキャラクターの幅を広げなきゃいけないっていう、その部分を含めたステップになってるのがよくできてるなと。
けんすう:ありがとうございます。いろんな人の相談に乗ってるんですけど、「何の制限もなかったとして、どのぐらい年収になりたいですか?」って言うと、みんな600万とか言うんですよ。
制限なく、1億でもいいし5億でもいいけど、自分は600万がせいぜいだと思っちゃう。
尾原:どうせ自分なんて、みたいなね。
けんすう:そうですね。なのでいろんな聞き方をしないと、やっぱそこって外れないんですね。なので、そういう部分を突破してもらうために、こういうステップにしてますね。
尾原:だからすごい誠実で、すごい実践的だと思ったし。
「YAZAWAならどうする?」
尾原:さらに言うと糸井さんの「ほんとに実行する人がいたら、ほんとにうまくいくと思う。」って帯が、僕にとっては「それセルフパロディじゃん」って思って。
だって糸井重里さんって、日本で初めて物語思考みたいなことを実践的にやった人でさ、今の若い方って知らないかもしれないけど、糸井重里さんの文筆業としてのデビュー作品って、矢沢永吉のルポを書いた『成り上がり』って本ですからね。
けんすう:すごい。そこまで言える人はなかなかいないです。『成り上がり』ぐらいから、彼のすごい大事なところで。
尾原:『成り上がり』の矢沢さん自体が、キャラの矢沢永吉って意識的に自分の制限を取った矢沢ってキャラクターを作ったし、そのキャラクター設定というものを糸井重里がメタ認知させたことによって、より矢沢になったんじゃないかって俺は思ってる。
けんすう:おもしろい。僕はそこまで考えられてなかったんですけど、確かに『成り上がり』があったからこそ、これキャラなんだと認知できたんじゃないかってことですね。めっちゃおもしろい。
尾原:今の若い世代の方って矢沢永吉っていうキャラクター設定を知らないかもしれないんですけど、「俺はいいけど矢沢はどう思うかな」って本人が言うぐらい、本人がアルファベットのYAZAWAっていうのを演じていて。
このアルファベットのYAZAWAっていうのが、ものすごい欲望にストレートなんだけど、ものすごく人を感動させて、人をグイグイ次の世界に連れて行くというパワーキャラクターで。
例えばホテルとか、ちょっと部屋がアレンジできなくてって言われたら、「俺はいいんだけどさ、YAZAWAがそれでいいと思うのかな」みたいなことを言うと、ホテル側も「そうですね、YAZAWAはそんなホテルに泊まっちゃダメですね」って言って、無理やりでかい部屋とシャンパンを用意すると、「これならYAZAWAらしくいられると思うよ」みたいなことをやることによって、みんなが制限を突破したYAZAWAというエネルギーを浴びることができる、みたいなことをやってるのが、矢沢永吉っていう生き方なんですよね。
けんすう:そうですね。これ矢沢さんが言ってておもしろかったのが、「自分が本当にああいう不良だったら、あんなにおもしろくはないし続けられない」って言ってたのがすごいいいなと思ってて。
確かになんか、そのままああいう人だったら、どこかでちょっと悪くなったりとか、40歳ぐらいでもうそんなに尖ってられないしってなっちゃうところを、やり続けられるっていうのが強いなと思ってますね。
尾原:そうでしょうね。だからまさに矢沢永吉のことを考えると、この5ステップみたいなことをやってるんじゃないのっていう気がする。
けんすう:糸井さんの帯の案はいくつかあったんですけど、それの一つが「僕が25歳だったら、冗談のふりして本気で実行するよ」みたいなのもあって、さすがだなと思ったんですけど。
「冗談のふりして本気で実行する」っていうのがポイントな気がしますね。これをまんまやろうとすると若干の照れがあるので、多分この「ほんとに実行する人」とかもそういうことなんだろうなと思ってますね。
尾原:自分の想像する制限を取っ払ったようなキャラクターになるって、自分でも無理があるだろうって思いながらも、ぶっ飛ばなきゃいけないから。そこら辺が、照れながらやるみたいなところに繋がってくる。
例えばけんすうの目からしてみると、この物語思考のことを考えた時に実は周りの人ってこの5ステップをやることで、成功してる人は多いと思うんですよ。だって西野さんもこれじゃない?
けんすう:そうですね、やっぱりあえて追い込むじゃないですけど、「西野だからこうだよね」みたいなことを言うのってメタ認知に近い感じで。
西野っていうものを一つの商品として扱ってるみたいな感じの言動が多いんですけど、それは近いんじゃないかなと思ってますね。
エンタメで世界をとるキャラとしてはどうあるべきかっていうと、デビュー当時から体型って変わっちゃいけないよねみたいなものがあって、そのためにずっと走り続けるとか、そういうキャラクターでいるみたいな。
尾原:自分も好きなんでしょうね。
けんすう:「デビュー当時から体型変わるようなやつがおもしろいわけない」みたいなことを言っていて、「そんなことないんじゃないか」って同じお笑いタレントの房野さんに突っ込まれてましたね(笑)。
そういう他の人がいじりたくなるようなキャラを、ちゃんと考えてるっていうのはありそうですね。
尾原:こういうことを実際にやり抜いた人が周りにもいるし、それを変にやりたいことを見つけるみたいな症候群に悩むぐらいだったら、25歳だったら照れながらね。
僕も赤マフラーをつけてみるとかいろいろやってるわけ。あれとかもインターネットの正義の味方っていうキャラクターがいて、そこをどう身につけるかっていう話だし。
あと一方で、正義の味方としてよくけんすうに諌めてもらうんですけど。正義の味方なんだからあんまり暴れちゃダメでしょとか、あんまり牙を向いちゃダメでしょっていう。
自分の中の大事なものみたいなものって、ともするとマイナスの方向にまで影響しちゃう時があるんですけど、キャラクター設定してるとそのプラスの中に収まるように動かすことができるみたいなことも、やらせてもらったりとかしていますね。
けんすう:おもしろいなと思ったら他人が指摘しやすいってのはあり得ますよね。
矢沢さんに対して「矢沢さん、ポイ捨てはダメですよ」って、人格批判にならないじゃないですか。みんなでそのキャラをプロデュースしてるみたいな関係になると、「じゃあここやめとこうか」みたいな冷静に話せる。
全体で言うと、なんでキャラクター作って物語にするかっていうと、やっぱメタ認知が大事だよねっていう。そうじゃないと、自分が大事すぎて何もできなくなるんですよね。
尾原:自分を直接取り扱っちゃうと辛いんだよね。
けんすう:そうなんですよ。自分がダメだったとか、自分が失敗したとか、自分が傷ついたと思っちゃうけど、このキャラでやってこのキャラがダメだよねとなると、やっぱりいいよなっていうところが結構大事ですね。
尾原:ちょっとだけ話はずれると思うけど、アメリカの俳優とイギリスの俳優のメソッドの違いみたいなのがあって、アメリカって割とその人がキャラクターになりきりすぎちゃうんですよ。そうするとその映画の役とかにハマりすぎて、その後に戻って来れないとか、それによって人格障害になっちゃう人がいたりするんです。
でも、イギリスでは最初に何をやるかっていうと、その俳優のキャラをまとう前に、自分についてる今のキャラクターを剥がしていくってことをやるんですよ。
家族の中にいる自分っていう仮面もあれば、こうやって皆さんに何かを喋ってる時の自分もいれば、いろんな自分があるじゃないですか。それを一個一個、剥がしていくんですよ。
そうすると、実は自分って常に何かしら仮面をまとってるじゃんって気づけるようになるので、映画なり芝居なりをやった時に、そのキャラクターを外すことができると。キャラクターに縛られすぎて人格障害になったりとか、自分を見失うことがなくなるっていう。
だからイギリス風の芝居をやってるほうが、結果的に俳優人生が長引くみたいな話がありました。
けんすう:おもしろい。SEKAI NO OWARIの深瀬さんも殺人鬼の役やるときに、頭の中から大事な思い出とか大事な人を一つ一つ消していって、全部消してできるようになったって言ってて、なんかその感覚ですよね。
尾原:これは外して置いておくということをやることによって、メタ認知ができるから、逆にキャラクターにも没頭できるし、キャラクターに没頭しても行き過ぎないということがあって。
人間、そういうことを無意識にやってるんだったら、もっと過激にやってみてもいいんじゃないっていう話ですよね。
けんすう:そうですね。それこそ今コメント欄であったような、分人じゃないですけど、いろんなところでいろんな仮面をかぶるよねっていうのは、人間だったら当たり前なので。
それでも自分で設計できんじゃねっていうところがありますね。
尾原:特にやっぱり分人みたいな話ってわかりやすくて、平野啓一郎さんが言ってる分人って、自分の中に複数の自分がいるって言うよりは、相手の目に映ってる自分が相手に素敵でありたいから、自分を分けていくっていう感じになるよね。
だからまさに、周りからその人に笑顔でいてほしい、安心してほしい、その人の瞳に映る自分というキャラクターを、どうまとっていくかっていう中で、自分が分人になっていくっていうことを言っているので。
やっぱりその人の中における、ありたい関係性から逆算で生まれてくるキャラクターみたいなところがあるから。
だから、自分が複数あるって言うよりは、自分が誰といる時にどう幸せになりたいんだっけみたいなところから、結局キャラクターって立ち上がってくる。
というわけで、尾原さんとの対談の記事前編でした。中編に続きます!
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