
あえて解像度を粗く考える
こんにちは!けんすうです。いつもがんばっています!
僕はよく「それ、解像度をもっと高くしたらいい方法が見つかるかもですね」みたいな表現をします。
解像度ってここ5年とか10年ではやったビジネス用語だと思うんですが、要は「もっと細かく、はっきりと見ること」みたいなイメージです。
これには知識もいりますし、深く考えることも必要です。解像度粗く考えると、誰かと誰かが揉めているときも「Aさんが悪い!」とか決めつけてしまったりしますが、よーく二人の今までの関係や経緯を知ってたりすると「Aさんがこういう感じで怒るのは、このあたりが原因なんだろうな」みたいなのがわかるので、どちらが悪い、みたいなシンプルな判断をしなくなったりします。
また、目盛りみたいなので考えると「1か100しかない」定規を使うよりも1づつの目盛りがあるほうが、「この消しゴムは12cmだな」とかわったりするように、よりはっきりと物事を見ることができます。1と100だったら「なんか5cmから30cmのあいだぽい!」みたいに粗い判断になってしまったりするわけです。
みたいな感じで・・・。知識をいろいろと仕入れた上で、判断基準を細かくできると「解像度が高く」ものごとが見ることができるので、正確性があがるよねーと風に思っています。
解像度が粗いほうがいいとき
んで。普通に考えると「じゃあ解像度は常に高いほうがいいですね」と思うと思うんですが、、
僕はあえて「解像度を低くする」というときがあります。
それは、細かく見えすぎることによって、マイナスのことが起こるときです。
たとえば、タスクをとったときに、解像度高く見ると分解ができます。「Aというタスクがあるときに、それを30個に分解してステップで見ると、作業の全体像がよりはっきり見えていいよね」というのは、タスク処理のテクニックでよく言われるし、僕もよくやるんですが、
面倒なことをするときには、なんか嫌になっちゃうんですよね。「あー、30ステップもやらないといけないんだ」と思ってしまうからです。
食洗機で食器を洗う、というときに、「まずは食器をすべて洗いどころに持ってきて、それぞれを軽くすすいでから一つづつ入れていく」とか想像すると、なんか嫌になっちゃうんですよね。
それよりかは「食洗機をやるかやらないか」みたいな二択にして「やる」んだったら、「食洗機をやる」以上に解像度を高く持たないようにします。
粗くすることで、「よくわからないけど、タスクは1つだな」と錯覚させる感じです。
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