ヘルシーなジェラシーにしちゃったほうがいいよね、という話

こんにちは!アルというマンガサービスをやっている、けんすうといいます。

今日は「嫉妬は、健全な形に変えておいたほうが生きるのが楽だよね」という話をしたいと思います。

嫉妬という感情をどう扱うか?

人間には「嫉妬」という感情があります。

嫉妬とは、「他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。」(by Oxford Languages)らしいんですね。

※あ、ちなみに「嫉妬」という漢字、なんかすごいコンプラ的にアウトな感覚がありまして、20年後とかに「え・・・この時代って、嫉妬みたいな差別的な漢字使ってたの?」といわれて後世で叩かれる予感がするので、以後、「ジェラシー」と言い換えます。

恵まれてたりすぐれている人を見て、モヤモヤっと暗い、いやな気持になることは多くの人にあると思うんですが、ジェラシーがあること自体は問題ないんです。

でも、これを「健全なジェラシー」にしている人と「不健全なジェラシー」にしている人がいるんです。ジェラシーとあわせて英語にすると「ヘルシーなジェラシー」みたいな感じですね。DeNA創業メンバーの川田さんがいっているので僕は知りました。

この記事でいいたいのは、「健全なジェラシーにするとお得だけど、不健全なジェラシーにすると自分が損するから、すべてのケースを健全なほうにする、と決めておくほうが、人生が楽じゃないか」という提案です。

Weekly All Hands用まとめ

自己啓発本でよくありそうな主張ですが、僕は「Aを選んだらストレスなく生きれて、Bを選んだらストレスフルな場合、Aを選ぶようにしたほうがよい。なので、Aを選択しやすいように無理やり屁理屈をつけて納得感をねじこむ」というスタイルで生きているので、そんなテンションで読んでいただければと思います。

健全なジェラシーと不健全なジェラシーとは?

健全なジェラシーとは何かというと「くっそー、あいつすごい成功しているな!がんばってるんだろうな!自分もそうなるようにがんばるぞ!」みたいな感じです。

刺激を受ける、とか、触発される、みたいなイメージです。

これにしておくと、要はチャレンジしようぜ、という気持ちになったり、がんばろうという気持ちになるので前向きな感じです。

不健全なジェラシーとは「あいつが成功したのはまぐれだ」とか「不正な手を使ったに違いない」とか「コネでねじ込まれただけだ・・・」とか、そういうのです。

つまり、健全か不健全かどうかは、ジェラシーを感じたあとの、「解釈」の違いといえます。

単なる解釈の違いとはいえ、健全なジェラシーにしておくと、頑張ろうと思って努力する方向に行動が向かうので、自分があがっていくイメージですが、不健全な場合、「相手を引き下げよう」という方向に行動がいくので、基本的には自分は得しません。

というのも、不健全なジェラシーの場合、「成功しているポイントを見て叩いても共感を得られないので、相手の粗探しをして、叩けるポイントを探し、そこを叩く」という行動になるからです。

Weekly All Hands用まとめ (2)

これのポイントは「たとえ相手が不正してようと、不正していまいと、健全か不健全かで、向いている方向が決まる」ということなんです。

家族とか親友とかのめちゃくちゃ親しい人が、明らかに不正をしていて、相手を正すことで相手のために不正を指摘する、、みたいな「相手のための行動」ならまだしも、友達とか知り合いくらいのつながりで、相手を引き下げようとしても、あまり得をしないんですね。

人間は不正を見逃せない

で、これの問題は「人間は不正を見逃せない」という面があり「基本的には正義を執行したい」という気持ちがあるので、ジェラシーだと気づかなくなってしまうということです。

成功者が100%、すべて正しいと言えることだけで成功しているかというとそれは難しくて、相手を出し抜いたり、競争に勝つために有利な手を使ったりしているわけです。極論、「生まれた家が裕福」とか「DNAレベルで有利」とかもあるわけなので、完璧なフェアネスは存在しないわけです。

なので、不健全なジェラシーにより、粗探しをして相手を叩くのは絶対にできてしまいますし、それを「この不正を見逃すと社会のためにならない」とか「こういうのがはびこると正直者が損するから許してはいけない」みたいな理由をつけるのは、死ぬほど簡単なんです。

たしかに、ジェラシーしている相手が不正をしているケースもありますし、そういうズルをしている人をとっちめたい気持ちになるのはめちゃくちゃわかるんですが・・・。

たぶんですけど、そういうのをやりたい人は大量にいるので、どうせ誰かがやってくれるんですね。

なので、放置しておけばそのうち是正されることが多いです。

もし、是正したいという場合は、その場の衝動でやるのではなく、じっくりと腰をすえて、社会のために自分の人生の何割かをそこにつぎ込んで正当に暴いていく、という覚悟が必要です。

そうではなく、悪評をばらまいたり、ネットに書き込んでいる・・・くらいのことをするなら、その時間、どうでもいい相手のために使うより、自分のために使ったほうが有意義かなーと思っています。

というわけで

僕は「社会の幸せを考えるより、まず自分が幸せになってからのほうがいい」と思う派なので、難しい理屈をつけるより、ジェラシーを感じたら「わー!すごい!めちゃくちゃジェラシー感じる!よし自分もがんばろうー!」と変換しておく、と決めたほうが楽だと思っています。

相手が誰であろうと、とりあえずそれにしておく、と決めておくと、相手のために時間を使わなくてよくて、心も健康的になりますし、時間の余裕も生まれます。

ちなみに「ジェラシーなんて感じないもん!」としてしまうと、それはそれで、なんか心の中にモヤモヤが渦巻いて、相手が失敗したときに「それみたことか!」みたいに噴出することがあるので、いったん、健全なジェラシーということにして排出しておくのがオススメです。

誰かが炎上したときとかに、「ここなら一緒に叩いてもらえる!」と判断して、昔の話を持ち出して「あの人は実はあっだったんだよ・・・」みたいに暴露をする人とかいますが、そういう行為をして得するのって、炎上を見て楽しんでるギャラリーだけで、自分は得していないので、やめておいたほうがいいかなと思っています。

というわけで、健全なジェラシーにしておくと人生が楽だよ、という話でした!

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