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努力できない人への配慮をしすぎると、強制されればできるという人の可能性を潰してしまう
こんにちは!
最近、「努力ができない人は、サボっているわけじゃなくて、さまざまな理由から努力ができないだけ」という話を耳にするようになりました。
以下の本とか話題になりましたね。
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努力ができない人がいるというのはかなり正しそうらしくて・・・。前頭前野やドーパミン報酬系といった脳領域の働き、およびそれらを支える神経メカニズムに個人差があるのではないかと、研究では言われているらしく、また、遺伝的要因や環境要因が脳のこれらのシステムに影響を与えるので、努力する能力の違いに関与してるんじゃないかとのことです。
なんかいくつか調べたんですが
「努力できる人」と「できない人」には脳内の報酬評価システムと自己制御システムの働き方に違いが見られる
前頭前野や前部帯状皮質がうまく協調し、ドーパミン報酬系を適切にドライブしている人は、努力のコストよりも得られる目標価値を大きく見積もることで粘り強く行動できる
これらのシステムのバランスが崩れていると、努力に対する精神的・肉体的コスト信号が勝ってしまい、途中でモチベーションが枯渇しやすくなる
ということらしいです。難しいのでよくわかりませんが、要は「個人差!あるな!」ということですね。
これを認識した上で、努力できない人に対して「お前は!サボりたいからサボってるんだろ!」と怒ったりせずに、必要や支援や配慮を考える、というのは正しいことなんだろうなと思います。
問題点
しかし、これには問題があると思っていて・・・。それは「努力できない人、というのを見抜くのは不可能」ということです。
脳の検査とかをやって、「あなたは努力できない度が90%ですね」とか言われるわけではないので、実務的には、行動をチェックするしかありません。しかし、多くの人間は、基本的には怠惰なので、努力できないこともたくさんあったりします。
片付けが苦手な人もいれば、毎日運動とか勉強をするというのが苦手な人もいます。しかし、そういう人が軒並み仕事で頑張れないかというと、そうでもありません。仕事でやれと言われたことはちゃんとやったり、仕事で必要な知識は手に入れられたりするわけです。
結局は「努力できるかどうか」は環境や習慣、モチベーションや周りのサポートなど、多くの要素が絡んできているので、その人の能力だけに依存しないんですね。
という中で、例えば「強制されればそれなりに努力できる」という人は一定数いるんじゃないかと思っています。強制というのは「やれよ」と圧力をかけられることだけじゃなくて「毎日学校があって、いかないとより困ることが起こる」とか「試験があって、点数を取らないと留年してしまう」とか、そういうのもある意味の強制です。
そして、この強制があるからこそ頑張れる人というのは多いと思うんですね。この辺りはグラデーションになっており、「努力できる、できない」の2択ではありません。
しかし、「努力できない人に強制させるのはよくないし、パワハラになりかねないから、努力できない人には配慮しよ」という感じで一律になると、「もうちょっと強く言ってくれれば普通に努力できたのに」という人を落としてしまう可能性があります。
図にするとこんな感じです。
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