「点の正論」ではなくて「線の正論」を考えないといけないよねえ、という話
僕の昔の失敗の一つの「点で考えていて、線や面で考えていなかった」というのがあります。
どういうことかというと・・・。
これは、前職で、組織コンサルのような人にきてもらい、経営陣で話してた時です。そこで「みなさんは、組織運営において何を大事にしていますか?」という問があったのですね。
で、そこで出てきたのは「クリエイティブは大事」「発想やアイデアは重視する」「オペレーション力は大事」「規律やルールを守ることは大事」「大胆な意思決定は大事」「一つひとつの意思決定の精度を高める」などなど・・・。
経営陣で意見を言い合っているうちに「あれもあるよね」「それも大事だよね」というので、たくさん出てきました。
そうしたら、それを聞いていた組織コンサルの人が「みなさん、それ意見をアジャストしていませんか?」といってきたのです。
アジャストというのは、要は「他の人の意見に同調してあわせていませんか」くらいの意味です。
僕らは、別に合わせているつもりはなかったので「え、でもクリエイティブが大事という気持ちも本当だし、規律やルールが大事というのも本当だし・・・」と思ったのですが、そこで言われたのが
「たとえば、規律を守って遅刻をするな、というのと、クリエイティブや発想を大事にする、というのは両立できそうですか?」ということでした。
そこで僕らは結構ハッとしたのですね。
点の正しさと線の正しさ
僕らは、すべて「点」の正しさで語っていました。で、大事にしたいことなんて、点でいったら、どれも正しいんです。
たとえば「クリエイティブが大事だよね」ということにたいして「いや、今の時代、クリエイティブなんてあったらだめだ!」という意見はあまりないと思います。
また、「規律が大事だよね」も、一般的には「規律やルールを守るべき」に反対する人は少ないはずです。「遅刻はいけないよね」というのは正論なので、反対する人が少ないのです。
しかし、それらが「線」になるかというと、ならないものもあります。
クリエイティブを大事にするとか、自分らしい自由な働き方ができる、という方針と、規律が大事とか、ミスをゼロにする、というのが、線でみると、かけはなれていて、両立が難しいものがあるんじゃないかという指摘です。
クリエイティブが大事だし、自分らしい自由な働き方がいいよね、といっているけど、すごく厳しく、1分遅刻しただけで怒られたり、自社のルールに基づいた細かい規定に従わないといけない、みたいな感じだったら、いまいちクリエイティビティを発揮できないよね、ということが起こりかねないということです。
点の正義としては「規律は大事」というのは正しいけど、線の正義にすると「規律が大事、というのは重要ではない」ということが起こるということです。
勘違いしてもらいたくないんですが、これは、何も「クリエイティブが大事」と「規律が大事」(たとえば遅刻を厳しく注意すること)が両立できないという意味ではないんです。これはあくまで例です。
大事なのは、どういう「線」をひいているか、なんです。なので、「クリエイティブが大事」と「規律が大事」を両立した線をひくことも可能だと思います。
ミスをしないことと、規律が大事であり、ルールに従うことで、クリエイティビティが発揮される・・・そんな組織もありえます。
大事なのは「点の正義だけで語らずに、線として、それが正しいかどうかを考える」ということなんだなと思っています。
気をつけたいこと
僕らはついつい「点の正義」で語ってしまいます。ものごとを点で考えると、だいたいの正論が通ってしまいます。
しかし、組織運営とかをする上では、「その一点はたしかに正論だけど、うちの組織はその正論を通さない」みたいなことが必要になります。
「大胆に考えるんだ!」といってる組織において、新卒の社員が、大胆な案を出してきた時に、「細かいところの詰めが甘いから、ちゃんと指摘してあげないと成長しないですよ」という正論を、あえて採用せず、とりあえずやらせてみる、みたいなことです。
「案を出すなら細かいところまで考え抜かないとダメ」は正論なんですが、その正論を持ち出すと、大胆に考えるということが阻害されたりするということです。
ということで、結構この「点」と「線」の違いを覚えておくと、便利だったりするので、紹介してみました。