僕らは数字の引力に引きずられすぎている

こんにちは!

今日は「数字の引力って強すぎるよねえ」的なことを書きたいと思います。

書いた理由としては、この前、みんな大好き「コテンラジオ」の深井龍之介さんとお話して、めちゃくちゃおもしろかったんですが、その時に出た話に刺激を受けたからです。

よければ資本主義の回などを聞いてみてください。めちゃ勉強になります。

今日の記事はいつものごとく、あまり結論とかがすっきりでないものですが、せっかくなので考える切っ掛けにしていただければと思っています。

でははじめます。

数字の引力とは

物事には、人間の気を引く力、いわば「引力」と呼ぶべきものがあると思っています。

たとえば、かわいい猫の動画は引力が強いですが、テナガザルの動画は、猫に比べるとそこまででもない・・・みたいなイメージですね。

世の中のものは引力が強いものと弱いものがあるのですが、これは時代によって違います。中世あたりだと、たとえば「宗教の信仰心」や「家柄」、「血筋」みたいなのが強かったりしましたが、近代以降の資本主義の社会では「お金」というものの引力がとてつもなく強くなっています。

お金の引力が強い理由の一つとして「計測可能であり、比較ができる」という点にあります。たとえば、お金なしではじゃがいもと車は価値が比較がしづらいですが、お金を使うと「じゃがいも100円、車100万円」と比較ができるようになります。

これが、数値化できないものだと「じゃがいもはおいしい!」「車は便利だ!」と違う指標で比較することになるので、成り立ちません。また、数値化できるもの、たとえば重さで「じゃがいもは10gで、車は1000kgだ」とやってみても、あまり意味がないわけですね。

資本主義以前からもちろんお金はあったし、指標の尺度として使えたわけですが、資本主義になり株式会社が社会の重要な機能として出てくることで「お金を使って、よりお金を稼ぐこと」が大事なことになりました。

これにより、社会は成長を求めるようになり、また株式会社がお金を使うときは、より成長するためにのみ使うべきだ、という考えが主流になります。また、国もGDPなど、経済的な成長を重要視するようになったわけです。

ロバート・ケネディの演説

しかし、これに対しての批判は常にあります。人新世の「資本論」という本がかなり売れましたが、脱成長や、経済成長を追い求めてるだけでいいのか?という疑問は長らくあります。

「超相対性理論」というPodcastの「我々は数字の奴隷から脱却できるのか」という回で知ったのですが、ロバート・ケネディさんが1968年3月18日にカンザス大学で行った演説も似たことが言及されています。

とてもよいので引用します。

私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。

この国のGDPは、8000億ドルを越えた。しかし、もしGDPでアメリカ合衆国の価値を測るのなら、GDPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。

GDPには、ナパーム弾や核弾頭、街でおきた暴動を鎮圧するための、武装した警察の車両も含まれている。GDPには、玄関の特殊な鍵、囚人をかこう牢屋、森林の破壊、都市の無秩序な拡大による大自然の喪失も含まれている。GDPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。

一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。GDPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。GDPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。

つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。GDPは、私たちがアメリカ人であることを誇りに思えることについて、いっさい教えてくれないのだ。

もしそれが、この国において真実であるなら、世界中のどの国でもやはり真実だろう。

幸福は、GDPでは測れない:50年前、ロバート・ケネディが語ったこと

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