「人はどこまでを仲間と思うか?」とNFT・トークンコミュニティ
こんにちは!
今日も結構、まとまっていない状態で記事を書こうと思います。最近、このやり方で書いたら「お、意外とまとまったな」というのが多いので、それを期待しています。
今日は「どこまでを仲間と思うかの問題」について書きます!
どこまでを仲間と思うか?
これを考えるきっかけになったのは、みんな大好きコテンラジオのこのシリーズです。
オスカーシンドラーさんです。何をしたかというと「ナチスがユダヤ人を迫害しまくっている時に、私財を全部投げ打ってまで、ユダヤ人を助け続けた人」です。
映画にもなっているのでご存じの方も多いのでは?
んで、これだけを聞くと「シンドラーさんめっちゃいい人だよね」と思ってしまうんですが、興味深いのが「女好きだったり、結構はちゃめちゃな生活をしてたりするし、なんなら最初はユダヤ人をうまく使って儲けようとしてたのでは」的な人なんですね。
元々すごく善性が高くて、本当に社会問題や人権意識が高くて、素晴らしい人、とかだったらわかりやすいんですけど、全くそんなことがないので「人の善性とは何か」みたいなのをすごく考えるきっかけになるのでおすすめです。是非とも聞いてください。
(反対に、ヒトラーはどちらかというと自分への利益供与とか、自分が得になるようなことをやるというのはせずに、基本的に国家のためだと彼が考えることを真面目にやっているとも言えるけど、その結果、人類史上でもトップクラスの悪とされる行動をしているので、ここの対比で考えるのも勉強になります)。
んで、このコテンラジオの中で「ユダヤ人を助けようとする人と、そうでない人がいるけど、その違いは何か?」というので議論があるんですが、そこで「自分たちの仲間だと思うか、そうでないかが大きいのでは」という話が出ています。
ものすごい雑に言っちゃうと、「自分たちはドイツ人だけど、あいつらは全然仲間じゃないユダヤ人だよね」みたいになると酷いことをしたり、酷い目に遭ってても無視するというのができるわけです。逆に「同じ人間なのに」と思うと、見てられなくて、助けるということをする、という感じですね。
ウクライナ戦争の時に、とある欧米のメディアが「我々と同じような白人がこんな目にあっている。彼らは中東でもアジア人でもないのに、酷い」みたいなことを書いて、批判されてたりしたことがありました。あれも、多分マジで悪気がなくて「アラブ人とかアジア人は、全然自分たちの仲間だと思えないけど白人だとそう思う。なので、めちゃくちゃショックだった」ということだと思うんですね。悪い意味での悪意のなさ。
と、こういう話をすると「自分は人間であれば全員仲間だと思うようにしよう」とみんななるんですけど、、、そうすると「どこまでが人間ですか?」という難しい問題にも当たります。
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