NFTのおもしろさが少しだけわかった気がするよ

こんにちは!

今日は、NFTを買ったり、やってみたりして、気づいたことについて書きたいと思います。メモ的なものなので、

買うだけじゃダメだよね

NFTについて、理解したい、と思っていろいろ買ってみたのですが、結論として、ただ売り買いするだけでは理解できないということがわかりました。

特に「安く買って高く売る」という行為には正直まったくときめきがなく・・・。なんだかんだで、50万〜100万円?くらい利益がでたと思うんですが、だからなんだ?という感じでした。

利益目的で、株を買って、売る、というのと同じというか。

ちなみに株でいうと僕は上場株はほとんどやらなくて、エンジェル投資だけです。エンジェル投資は「応援したいプロジェクトに投資をして、それが大きくなって利益がでる」というのが嬉しいのですが、エンジェル投資はIPOかM&Aするまで株を売れないので、気が楽なのですね。

一方で、上場株やNFTとかだとすぐ売れてしまうので・・・。常に値段を見て、売り買いを意識するのが向いていないなと思いました。

で、NFTについてよくわからないなりに、自分たちで設計して、自分たちで作ってみて、お客さんとやり取りをしてみると理解が大きく進みました。

やったのはこの成長するNFTというコンセプトでやった、marimoというプロジェクトです。1万個が7分で完売した、というので話題になりましたが、OpenSeaとかで二次販売で買えます。

どう感じたかというと、、NFTは新たな「虚構」を作り出してて、面白いな!という感じです。

NFTの技術的なバックグラウンドとか、その妥当性とか、その技術の意味とかを通り越して「NFTだと、これを信じられる」みたいな部分ができたのがおもしろいなと。

何を信じられるかというと、「データの所有」の概念です。

所有者が決まる資本主義の世界

資本主義では多くのものが私有財産制に基づき、所有者が決まってしまいます。共有地だったもの、たとえばみんなで使う池とか川も、近代以降は「これは国のものっす」「これは●●さんのものです」とか言えてしまうようになったのですね。

この共有地を「コモンズ」といったりします。

しかし、インターネット上のデータでは、そういうのがあまりなかったんです。もちろん、「著作権」というのがあり、コンテンツに関してはコピーや拡散は制限されますが、それでもかなり好き勝手に二次創作や改変が行われているのも事実です。

著作権が曖昧なものは、特にその傾向があります。たとえば、古くにある「アスキーアート」文化とかは、完全に誰でも使っていいものになっていました。インターネット・ミーム的に使われる画像なども似ているかもしれません。

データは誰でもコピーが容易であり、無限だからこそ、そういうことが起きています。「インターネットコモンズ」とでも呼べるものの出現です。

初音ミクとかは、特定の株式会社のプロダクトではありますが、そこに紐づく文脈はコモンズです。初音ミクはねぎを持っている、みたいなものとかは、誰でも使っていい設定ですが、誰も所有していません。

そんな感じで、インターネットにあるコピー可能なデータは、著作権とかの制限はあれど、コモンズ化への重力が強い、とも言えると思うんです。

言い換えると、感覚的には「インターネットのデータは、著作権があるものをのぞくと基本的にコモンズであり、誰かに独占されるものではない」というのがあるのかなと。

あくまで感覚の話ですが、、

で、ここから僕は「インターネット上のデータは、著作権が明確なものを除くと、コモンズ化していく」という仮説を持ったんですが、これは逆にいうと、著作権が明確なものはコモンズではない、という感覚があるともいえます。

映画やマンガのデータなどはもちろんのこと、たとえば「SNSへ投稿するコンテンツは誰のものか」といわれると、これは多くの人は「投稿者のものだ」、という感覚があると思います。

SNSへの投稿コンテンツは、投稿者が好きにしていいものだし、勝手にコピーされてパクられたりしたら怒りたくなりそうです。

しかし、Instagramなどに投稿されている場合、Instagramは削除する権限があったりしますよね。なので、感覚的には「自分のものだけど、プラットフォーマーの動き一つで消えてしまう儚いものでもあるな」というのがあったりします。

なので、インターネット上に投稿した、インターネット上にしかないコンテンツは、「自分のものではあるが、プラットフォーマーも操作できるものなので、なくなってしまってもしょうがない気がする」という感覚があるのではないかと。

NFTは所有権がある"感じ"がする


NFTの話しに戻ります。

NFTは、「自分が著作権を持っていないものだけど、所有権を感じられて、コモンズ化しないデータである」というのがおもしろいポイントなのではないかと。

このNFTは本当に自分のものだ、という感覚があるのが今までのインターネットではあまりなかったんですね(NFTであっても状況によっては削除されたり消えることもあるよね、というのは重々承知なんですが)。

この仮説を検証するために冒頭で紹介した「marimo」という、育つNFTを作って、marimoが少しずつ大きくなるだけのNFTを作ったんですが・・・。コミュニティでは、思った以上に熱心に愛でてくれています。

Twitterでのmarimoコミュニティはこちら

ただ大きくなるだけの、緑の画像に愛着を感じるし、自分のペットだという感覚になってしまうわけです。

たとえば、作ったアル社や、僕がいなくなってもmarimoは存在するし、世話ができる、というのがあるからかもしれません。完全に自分が所有している、という風に感じるものがあるのかなと。

というわけで

自分が著作権を持っていないデータなのに、所有権を強く感じられるというのは、これからのコンテンツづくりにすごい役に立ちそうです。

たとえば、1つはゲームです。ゲームって「データの著作権なんてないし、所有権もないけど、めちゃくちゃ自分のもの」感があると思うんですよね。

なので、NFTとゲームというのは基本的に相性がいいんだろうなあ、と。ただ、普通にゲームにNFTを組み込んだりするだけだとダメそうです。

所有感みたいなのものがとても重要な、NFTネイティブのゲームを作ることが大事なんじゃないかと思っています。

というので、NFTを使って、所有感を演出して、それによって今までないサービスが作れるんだな・・・というところに、めちゃくちゃおもしろさを感じました。

「アートのNFTを投機的に買って、高く売る」みたいなものばかりがフォーカスされているんですが、それよりか「人間は虚構を信じられる生き物だけど、また新たなに信じられる虚構ができた」みたいなものなので、いろいろおもしろいことができるんじゃないかと思っているこのごろです。

じゃ!

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