自己肯定感が低い時に、認知の偏りから治していく
こんにちは!
今日はこんな質問が出たので答えたいと思います。
自己肯定感の低さが問題という話ですね。これ系の話はよく聞くので、ちょっと答えたいなと思います!
前提として
基本的には僕も自己肯定感は低いです!
なので、参考になるかはわからないですが、まず大前提として「自己肯定感を高くしよう」としても短期的にはあまり効果がないなーと思っています。
というのも、自己肯定感の高さ低さというのは、もともと持ってる性格や、そこから来る環境的な要因によって、長い間の積み重ねがある状態だったりするんですね。
なので、それを根本から変えようとすると結構時間がかかるなぁと言う印象があります。
一般論的には小さい自信を積み上げていって、肯定感を高めていくと言うような形になるのですが、それができるんだったら、すでにやれてたりするかなあ、と。
なので、自信を持とうとするのは長期間かかるので、自信を持つようにしよう!都市内方がいいと思っています。
じゃあどうすればいいんだろう、という話なんですが、問題を切り分けてしまったほうがよさそうです。
問題の切り分け
自己肯定感の低さで問題になるのは「自己肯定感が少なくて、自信がないからこそ、変な行動をとってしまい、周りの評価が下がる、周りが傷ついたり困ったりする、などの実害」じゃないかと思っているんです。
究極、自己肯定感が低いというだけであって、周りに影響を与えていないなら、自分の感情の問題なので、さほど実害がないんですが、「フィードバックをもらっている」ということは「ちょっと周りにも問題が起きているよ」ということだと思うんですよね。
なので、この実害を減らすほうにまず注力したほうがいいかなあ、と。
となると、是正するべきは「自己肯定感が低い」ということからくる「認知の偏り」であり、「認知が偏ったことで、それが行動に出ると周りに影響がある」ということです。
厳しい言い方をしてしまうと、周りは「あなたのの自己肯定感が少ないのは知ったこっちゃないけど、それによって認知が歪んだ行動をとられると困る。面倒くさい」と思うんです。なので、そこは修正したほうがいいかな、と。
どんな認知の偏りがあるのか?
じゃあ、どんな認知の偏りがあるのか?をいうのと書いてみると、、
まず考えられるのは以下です。
確証バイアス
これは、自分の先入観とか「こうじゃないか」という仮説があった場合に、それを補強することばかり注目したり、情報を集めてしまったりすることです。
自分は自己肯定感が少ない、という前提のときは、「自分がいかにだめか」という証拠を集めたくなります。
なので、10褒められているのに、1けなされときには「ほら、やっぱり自分はダメなんだ。仮説はあってたな」と安心してしまうということです。10の褒めを見ずに、1のけなしを見ちゃうんですね。
褒め言葉などをスルーしてしまうことで、相手は「せっかくポジティブなフィードバックしているのに全然話しを聞かないんだな」とか「自分のいうことを軽視しているんだな」と思って傷ついたり、怒ったり、あなたのことを軽視したりするので、ここは修正ポイントかなあ、と。
やっかいなのは、自己肯定感が低い人って、ちょっぴり自分を下におくことに安心感を得たりするんです。これってちょっと「謙遜している感じ」を出せるので、そこまでネガティブになっていなかったりします。
なので「自分はダメだ」という仮説を持って、それが実証されることで気持ちよい思いをしますし、安心感も得れてしまうということですね。
解決策としては、なんでもいいので「ポジティブなフィードバック」と「ネガティブなフィードバック」、いわれたものをメモしておくとかがいいです。
もしネガティブが気になるなら「ポジティブは10、ネガティブは1」くらいの量で書いておく、とかでもいいかもしれません。ネガティブのほうばかりに注目してしまうので・・・。
ここで大事なのは事実と解釈を混ぜないことです。
記事の後半でもまた言いますが、「上司からこう言われた」っていう事実をメモるのは大事なんですけれども、そこから解釈を過剰にしてしまうとポジティブだかネガティブだかわからなくなってしまったりします。
例えば上司から「資料は全体的に良いのだが、ここを直してほしい」と言われたときに、言われた事実だけをとればいいのに、「資料は全然駄目だった」みたいな感じにネガティブだととらえてしまうと、もうバイアスが入ってしまっているんですね。
あくまで事実だけを書きましょう。
サポートされたお金はすべて、クリエイター支援のための会社運営に使われます!