境目がないものの境目を作ろうとするのは、だいたいにおいて意味がないのでは?という話
こんにちは!
マシュマロさんにこんな質問が来ました。
これに対して「境界線を作ろうとすると難易度が高いものに取り組まないほうがいいかも」というのを思ったので書きます!
回答
まず回答からなんですが、「好きなことに没頭したらビジネスになる」はかなり限定的な話であり、鵜呑みにするとややこしいかなと思います。
たとえば、僕は「漫画が好き」というのがあって、ある意味では仕事になっているわけですが「文章がかける」「Webサービスが作れる」みたいなところの組み合わせでできています。なので「読むのが好き」なだけでは別に仕事にならないわけですね。当たり前ですね。
筋トレとかは「トレーナーになる」とか「情報発信する」というのはあるんですけど、好きな人が多いので、競争は激しいです。しかし、身体のことを本格的に学んでパーソナルジムを開く、となると、これは「地域に特化するので、一定数お客さんがとりやすい」というのもあったりします。
たとえばGoogle検索って、あのレベルのものを作れる会社が世界にあまりないので、中国とかロシアをのぞくと、世界中Googleを使ったりする、みたいなことが起こり得ます。でも、パーソナルジムって、通わないといけないので、場所の制限があります。
なので、パーソナルジムのトレーナーとかになって、ジムを開くと、それなりに食べていける、というのはあるかなーと思いました!
その上で、、、回答とは違う本題なんですが、「ハマったことで将来的にビジネスとか事業につながっていくものとそうでないものを隔てるのって何なんですか?」みたいな考えは、結構危険だなーと思ったので、それについて書きます。
境界線なんてない
人間、おそらく「グラデーションだよね」というのを感知する能力があまり強くないと思っていて、、だいたいにおいて、白黒をつけたり、0か100で考えたい癖があります。
たとえば「◯◯はよい人だ」とか「◯◯は悪人」みたいなのもそうですね。本来であれば「人間、善いことも悪いこともする」という感じになりますし、グラデーションもありますし、善い人と悪い人の境目なんて、ものすごい曖昧じゃないですか。
毎日募金をしていればいい人なのか?とか、一度でも人を殴ったら悪なのか?とかは曖昧なのに、結構簡単に人のことを決めつけてしまったりします。
味方か?敵か?もそうです。違う意見をちょっといっただけで敵だと思ってしまったり、ほぼ同じような遺伝子なのに、国境があるだけで、相手は敵だと思ってしまったりします。
これらは、「雨がふっているところと、晴れのところの境目を探す」みたいな感じで、すごく曖昧なので難しいんですよね。
サポートされたお金はすべて、クリエイター支援のための会社運営に使われます!