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自分が都合よく相手が「同志」になってくれると思わない方がいい説

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!

新年らしいことは一切書かずに通常営業をしますが、今日は「同志だと勝手に思うのは悪手じゃない?」という話を書きます!

寄付の話をしたよ

昨日、こんなことを書きました!

ざっくりいうと、

  • 寄付をすると、「もっと寄付してくれ」「これも寄付してくれ」「シェアしてくれ」という依頼が寄付先を中心に来るようになってしまう

  • 断るのも負担だし、営業と違って断りづらい

  • でも構造上、寄付を集める最も効率的な手段だから仕方ないよね

ということを書きました。

すると、とあるNPOにいる知人から「僕らは寄付をしてくれた方を同志だと思っているんですが・・・」みたいなのをメッセージでいただいたんですね。

それに対して、「同志ではないと思います!」と言ったんですが、それについて詳しく書いてみようかなと思います。

もちろん、これを言った人への批判でもないし、「いやいや、やっぱり同志だよね」となるのも全然いいと思っているんですけど、結構起こりがちなすれ違いな気もするのです。

同志だと思いたいのは提供側のエゴ

同志という言葉の意味は「志が同じである」という感じですが、「同じ主義主張を持ち、かたく約束を結んだ友(goo辞書)」というような、固い結束や約束がある、みたいなニュアンスが含まれています。

より深く知りたい方はWikipediaをご覧ください!

そして、人は、大変なプロジェクトをやっている時ほど、「同じ目線に立ってくれる人を求める」という傾向にあり、同志を求めてしまうというのはやりがちなんじゃないかなと思っています。結構、再現性がある話なんじゃないかしらと。

例えば、スタートアップ経営者が、社員を雇った時に、「同じ目線の仲間だ」とか「同志だ」と思ってしまったりするというのは良くあります。自分の会社のミッションやビジョンに共感して集まってきてくれた、仲間だちだ、みたいな感じです。

しかし、これは勘違いどころか、期待してはいけないところだと思います。当たり前ですが、ほとんどの人は「給与が貰えて、楽しくてやりがいがある仕事に就きたい」というのはあるものの、「ビジョンやミッションに共感した同志」ではないからです。

そりゃ、働くならミッションに共感している方がいいでしょうし、やっている仕事が社会に役に立っていると思える、自分がやりたいと思うことにつながっている、というと、より幸福度は高いと思いますが、「同志だよな!」と経営者から言われると、「いや、そこまでの熱量を求められても」となると思うんです。

あくまで雇っている側と、雇われている側、という関係性を忘れてはいけないと思うんですね。雇っている側の権力は強いので、そこを軽視して、同じ志の仲間だ、というふうに扱うと、「給与が遅延してても、会社経営上、今は仕方ないよな?わかるよな?」という圧力になったり、「今は休んでられない時期だって自分で気づけよ」みたいな気持ちになったりしかねないです。

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