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許せない不正義を目にする量が多すぎて心が壊れてる人多いんじゃないかな?説

はい、というわけで今日はなんとなく、コラム的に、思っていることをだらっと書く日にします。

最近思っていることとしては、「現代人は、戦うべき不正義が多すぎて、どれも適当に戦っていないか?」ということです。

どういうことかと言いますと・・・。おそらく、情報が少なかった時代って、不正とか、その時代的に倫理的に良くないこととか、村の掟に反することとか、規律を乱すようなものって、そんなになかったと思うんですよね。

村の中で、盗みを働いたものがいた、というような事件って、まあ、そこまで多くなかったのではないかなと。

新聞とかラジオとかの時代になってから、そういうのはうわっと増えたと思うんですけど、それでも何かの行動に移すか、というと稀だったんじゃないかと思います。デモをしたりとか、新聞に投書をしたりとか、抗議活動をする、という人もいたと思うんですけど、そこまでする人は少数であり、またその人たちも、そんなに多くのことをできません。

そして今のインターネット、大SNS時代です。

こうなってくると、毎日のように「許せないような事件」が起こり続けており、それに対しての抗議も、指先一つで、1分くらいでできてしまいます。

これが良いか悪いか、という判断はちょっと置いておいて、これによって「人間が、反射的に戦ってしまうような、自分にとっての不正義が多くありすぎて、異常事態になっている」ということはあるんじゃないかと思っているのです。

異常な状態

例えば、「日大のタックル事件にめちゃくちゃ怒ってた人が、ジャニーズの性加害問題にすごい熱量でキレ、年末には松本人志さんの報道に怒り、イスラエルの横暴に怒り狂い・・・」みたいな感じのことが起こっているわけです。

どれも、古代の時代には、多分「かなり稀に起こる、大事件」とか「本当に許してはならぬ、村が大騒ぎになる出来事」とかなんじゃないでしょうか。そのくらいのテンションになってしまうような情報が頭の中に入ってきます。

一方で、それが自分にとって関係あるか?ないか?はあまり脳は判断できません。例えば、「とある学校内で起きたようなひどい出来事」を目にすると、自分も学生時代だったので、感情を引き起こされてしまい、関係あるかのように怒ってしまう気がしています。

パレスチナで子供がこんなひどいことになっている、とかも、お子さんを持った人にとっては、自分の子供のことを考えて、心を痛めたりするわけです。

そんな状態になると、脳はずっとアラートが鳴りっぱなしであり、怒りの矛先を向けて、なんとか対処をしようとしちゃったりします。その結果、また矢のような批判が飛んだりします。

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