プロセスでのみ目立つことに一生懸命になると危険という話
こんにちは!アルという会社をやっている、けんすうと言います。
最近「プロセスエコノミー」というものが来るよね、と思っていてこんな記事を書いたりしていました。
プロセスエコノミーとはざっくりいうと「作品とかのアウトプットを売るのがよくあるビジネスだとしたら、作品を作る過程の部分でもお金を稼げるようにするのが、プロセスエコノミーだ」というような感じです。
SNSの普及やライブ配信などによって、盛り上がってきている感じです。
で、僕はこれを基本的にポジティブに捉えていて、「プロセスの時からファンを巻き込めると、そこでアルバイトとかをせずにクリエーターが生活費を稼げたり、よりクリエイティブにコストを割けるようになる」というふうになると思っているので、まだ新人だったり売れていない人でも活動の幅が広がったらいいなあ、と思っています。
しかし、プロセスエコノミーだ!といって、プロセスを派手に見せることばっかりに注力したらとても危険だなとも思っております。新しいや手法などが出てくると、必ずそれでバランス崩したことをやる人がでてきて、大問題になったりすると思うので、危険性についても書いておこうかなと。
プロセスだけを盛り上げる手法
これで一番思い浮かぶのは、登山家の栗城史多さんのケースです。栗城さんは、〈七大陸最高峰単独無酸素〉登頂を目指して、それをクラウドファンディングや、講演会やスポンサーなどで潤沢な資金を集め、エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げていました。
しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死してしまったという方です。
この本はものすごい力作だったので、おすすめなのですが、この本によると、ざっくりといえば
- 栗城さんにエレベストを無酸素で単体で登る実力はまだなかった
- 栗城劇場、といわれるように、プロセスを見せて、資金調達したり、講演会で人気になる力はものすごかった
- そこは登山家としては新しいやり方で一定の評価はあるものの、登山の上では、シェルパと呼ばれるサポートをする人が20人ほどいたり、酸素を吸っていたりと、虚もあった
- 凍傷して指をなくしたが、その凍傷の仕方も不自然だった(本書では、自分で雪に指をいれて凍傷したのでは?と推測されている)
- 起業家としては優れていたが、SNSでの見せ方やスポンサー集めに注力が続いた結果、実力が追いつかないまま無謀なチャレンジをして、命を落としてしまった
というような感じです。
あえていうなら、これは「登山家としての実績を積み上げるよりも、チャレンジするというプロセスを見せることに注力しすぎて、実態とかけ離れてしまったのかなと。
本書ではこう説明されます。
森下亮太郎さんは、自殺説に与するわけではないが、栗城さんが生きることに限界を感じていた、と見る。
「実像と虚像の整合性が、もう自分の中で取れなくなっていたんだと思います。あいつは山が好きなわけじゃない。登るのがつらかったと思う」
栗城さんは「謎」と「矛盾」に満ちた登山家だった。
彼は南極で「山に登ると日常というものがどんなにありがたいかわかる」と語っている。そんな小市民的な面を持ちながら、「単独無酸素でのエベレスト登頂」という大風呂敷を広げ、「夢の共有」という社会貢献の匂いまで発散させる。
また、こんな文もあります。
「頑張ってください、勇気付けられました、と言われれば、その声に応えたくなるのが人間です。これは外すことのできない鎖を、自分に巻きつけていくのと同じことです。そこに、大人たちが、企業が、近づいてくる。大きな挑戦には資金が必要だから、彼らを相手にしなければ実現できない。すると失敗が許されなくなる。そしていつしか挑戦をやめられなくなる……。
人前に出た時点で、称賛だけではなく、中傷も受ける。そのことを理解した上で、私は前に出て戦うことを選びたい。栗城君は私にそう思わせてくれた人です」
たとえば、注目を浴びるのがとにかく得意な人が、それで実力以上に資金を集め、ファンを集めてしまうと、どんどんプロセスの刺激をあげていかないと、次に続かなくなってしまいます。
そうすると、より大きなチャレンジを掲げるしかありません。そして、どんどん過激になっていきます。チャレンジのインフレ、みたいなものが起きてしまうという。
だけど結果がでていないと「どうなっているんだ」と応援する人も起こりだし、詐欺師呼ばわりされたり、逆に応援する人は「アンチは気にしないで!」となったりしたりします。本人も批判に追い詰められたりして、アンチを攻撃しはじめたりすると、その活動がカルト化していったりします。
短期的に見るとプロセス「だけ」にフォーカスするのは、資金も注目も効率よく集められていいんですが、長期で見ると、破綻の道になってしまったりするということですね。
プロセス公開や応援自体は問題ない
もちろん、まだ実績がない人が、挑戦をする時に、その様子を発信して、応援してくれる人を増やしたり、資金を集めたりすること自体は問題ないと思うんです。
それがないと、「お金や人脈を持った人たちだけが次のチャレンジをできて、格差が広がり続ける」というふうになったりするので。
しかし、「大きなビジョンだけを掲げて、実態が伴わない。だけど、ビジョンだけを発信し続け、夢の重要性を語り続け、それで注目を集め、また資金が集まっていく」みたいな流れに一度入ってしまうと、抜けられなくなる危険性がある、というのは誰しも意識しておいたほうがいいと思います。
ビジョンを掲げ、資金調達を大規模にして、その上でTwitterとかで夢の大切さや仲間への想いなどを言い続け、講演会やテレビにでて、オンラインサロンで月額でお金を稼ぎ、みたいな流れに一度入ると、本業の事業とかけ離れていき、本業で小さな成果を積み上げていく、というのができなくなっちゃいます。
本当に難しいなと思うのが、「大きなビジョンをぶちあげて、期待値をあげて、資金や人材の面で有利な状況を作る」のは、起業家や何かを新しく何かをする人にとっては重要なスキルという点です(嘘がなければ)。Twitterのフォロー数や注目が多いと、明らかに集客や資金調達や採用の面で有利なのも事実です。
これがないと、最初の数歩がすすまなかったりするので、やったほうがいいのですが・・・。調整のレバーを少し間違えるだけで、地獄の道に進んだりしてしまう性質のものだ、というのものも理解しておかないといけないなと思っています。
我ながら、僕はその地獄の道にいつでもいけるタイプなので、本当に警戒しています。自分の実力値は、常に会社の経営の結果であり、サービスがどれだけ使われたかだけ、それ以上のものはない、と自覚しておかないと、危ない。
有料でサービス開発の裏側を見せる「アル開発室」とか、個人のTwitterとかもやっているんですが、「それがサービスの成長に直結するかどうか?」だけで評価するべきで、個人のブランディングとか、そういうのは全く興味がない、という状態にしないと駄目だなと。そうしないと、最終的には壊れて、カルト集団を形成して、そこでお金をぐるぐる回すようになってしまう。
本業は何か?そして、その本業は何で評価されるのか?を意識しすぎないと、プロセスでの刺激を強めるだけの人になってしまうので、本当に注意だなあ、と思っています。
というわけで
「おまえ、まさにそれをやりそうなタイプじゃん」というご指摘がありそうな記事を書いてみました。そうなんです、僕たぶん、それできるタイプなんです。
だからこそ、常に本業を作っておいて、そこだけで評価をしないと危ないなと思っていたりします。
本業があり、周りの起業家とか投資家からはそこだけで評価される世界にいるからこそ、ギリギリまでアクセルふんで、プロセス部分でリソースを最大まで高めて本業に突っ込むということができるのかなと。
これが、会社があり、責任があり、メンバーも投資家もいて、ガバナンスがきいているという縛りがなく、個人で活動してたら結構かんたんに人格が壊れると思っています。
というわけで、プロセスエコノミーを活用して、自分の活動をうまくいかせたい人は、常に「アウトプットをよくして、そこで結果を出すことが一番の目的であり、プロセスが目的になってはいけない」ということを改めて意識したほうがいいかな、という話でした。
-- 宣伝 --
「00:00 Studio」というクリエーターがプロセスを見せるライブ配信サービスを作ったのも、「プロセスを見せるのに一生懸命になって肝心のアウトプットがでないのは本末転倒」という想いから、負担なくプロセスを共有できるサービスを創りたかったからです。
もしよければ使ってみてください。