巨大アート「DMM.PLANETS」と、境界線が曖昧になっていく時代と、VR

DMM.Planetsという、チームラボがやっている巨大アートにいったんですが、これがめっちゃ衝撃的によかったんですよね。

VRとかARとかに興味がある方にはぜひともいってほしいと思いました。

雰囲気は、ぜひとも動画などを見て掴んでください。また以下のレビューも細かく紹介していて、わかりやすいです。

【必見】「DMM.プラネッツ Art by teamLab」最速レビュー〜お台場みんなの夢大陸2016

特に僕は、水の中に入って、みんなと一緒に、デジタルな鯉の映像?を楽しめる「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング – Infinity /Drawing on the Water Surface Created by the Dance of Koi and People – Infinity」が一番好きでした。

これに入っていると自分と作品の境界線、一緒に入っている人と僕との境界線が曖昧な感じになってきていて、すごい不思議な気持ちの状態になるんです。

境界線がある時代

アート作品なので、何を感じるのか、というのは人によって違うと思いますし、作者の意図は違うところにあると思いますが、僕が強烈に感じたのはこの作品では、「自分と他者との境界線がなくなっていく」ということを表現しているのではないか?というところです。

はるか古代の言語では「私」と「あなた」という言葉が存在しなかった、という話を聞いたことがあります。これはどういうことかというと、古代では、自分と他者との境界線が非常に曖昧だったのではないか、ということなんですね。

たしかに、たとえば蟻🐜などは、あまり自分と他人との区別ついていなそうです。それよりも種としての本能を優先させてそうというか。「おまえらは砂糖を集めているけど、俺はそんなことせずに、一人でいきていくぜ」みたいな蟻🐜っていなそうですもんね。

人類は長い間、実は自分と他者との区別が曖昧だったのではないかと思います。それが文明が進むについて、だんだんと境界線ができてきたのではないか、と。

そして、21世紀、ソーシャルメディアの発展などにより、今、人類史上、最大に自分の他人との境界線がくっきりとある時代なのではないかと思っているんですね。個人というものが、かなり意識される時代になっています。

で。僕はこれが、今度は、また曖昧になっていくと思うんです。

なぜか。それは、VRやARにより、自分の経験と他人の経験が曖昧になるからだと思っているんです。

VRによる追体験

最近あった、起業家の人で「NobodySurf」というサーフィンのサービスをやっている人がいて、このサービスが僕、めっちゃ刺さったんですね。

いってしまえば、今の状態では、「サーフィンの素敵な動画を集めて再発信しているFacebookページ」という感じなのですが、実はすごい未来を見て作っているな、と感じたんです。

個人的な予想では、VRやARが普及していく時代では、野球やサッカーのような二次元のほうが楽しみやすいスポーツから、サーフィンやスノーボード、ダイビングのような体験したほうが楽しめるスポーツの映像のほうが人気がでると思っています。

そうしていくと、サーフィンができないような僕みたいな運動苦手とか、足腰が弱ったおじいちゃんとかでも、サーフィンの楽しさみたいなのを体験できるわけです。

サーフィンとか絶対おもしろいはずなので、今まで条件が揃わないと体験できなかったようなことが、VR機器を持っているだけで体験できるようになるわけです。なので、その映像が集まったサービスが人気が出るわけで、NobodySurfは、その先駆けとしてとてもいい線をついているのではないかと思っています。

そんな感じで、おもしろい体験というのは、一つの視点を通じて、みんなが経験するようになっていくはず。しかも、単に映像で見るのではなくて、経験しているのに近い形になっていくはずなんですね。

自分と他人との境界線を作っているもの

自分と他人との境界線を作っているのは何か、というと、僕は「人と違う経験の量」だと思っています。

愛校心とか何で生まれるかというと、同じような体験をした人たちが多いからなんじゃないかと思うんですね。仲間意識ってやつですね。同じような経験をした人たちは仲間だと思うのが人間の本能としてある気がします。

一方で、今、多種多様なあらゆるな経験をもった人と、インターネットで瞬時につながるので、全然違う経験をした人との差を感じたりするわけですね。アメリカのティーンと、中国の高齢者の人では、生きている世界がだいぶ違うなと感じたりします。

これはマスメディアが普及する前では、自分の目で見える世界などは、自分の周辺程度しかないので、自分と同じような経験をしている人が多かったのではないかと思うんですね。同じような風景を見て、同じようなことを体験しているので、自分と他人の境界線が今よりも曖昧だったのではないかと思うんです。

逆に、境界線がはっきりした状態の他人は「敵」とみなされて、民族同士の争いや、戦争がおきていたのかもしれません。

これがVR時代になると、今度はまた、同じような経験をしちゃう人たちが、世界中で出てくるのではないかと思うわけです。今までオーストラリアの海でしか経験できなかったサーフィンが、ロシアの田舎でも体験できる、といったような。もちろん今まででもテレビやYouTubeでも映像は見れたわけですが、「観る」から「経験する」に近づくにつれて、全く違う感覚が得られるのではないかと。

そうなってくると、人類全体が、また融け合うように同質化していき、自分と他者の境界線があいまいになる時代になっていくのではないかと思いました。そもそも個人主義なんてここ数百年程度しかないので、個人というものが際立っていること自体が、特殊な時期だった、とのちの時代で言われるかもしれません。

DMM.PLANETSで感じたもの

という未来を想像しながら書きましたが、DMM.PLANETSでの巨大アートは、そういった感覚を呼び出してくれる素晴らしい作品だと思いました。

さっきも言いましたが、水の中に入って映像と音楽が常にランダムで動いていたり、鏡張りの部屋でこれまたいろいろな花の映像が上でも下でも流れていてそれをみんなで見たりする感覚は、言葉では説明できない不思議な体験です。

チームラボの猪子さんは以前「アートは、輪郭を作るものだ」といっていたのですが、VRの時代になるとどういう感覚になるのか?という想像を、今の時点で味わえてしまって、未来はこうなるかもしれない、やばい!という感情になりました。チームラボすごいですし、こんなわけわからないものを協賛するDMMもたいがい頭おかしいなと思いました(褒め言葉)。

超おすすめなので、ぜひとも見に行ってください。

DMM.PLANETS



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