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大きな対立こそ、忘却が大事になる

こんにちは!

怪我をしていた指が少しずつ治ってきました。写真では見せられないくらい、膿んで腫れてたんですが、まだ腫れているものの、痛みが治まってきています。ありがたい。 


というわけで、今回は、大きく対立しているときこそ、忘れることが大事だよね、みたいな話をします。

いろんな世界でいろいろな紛争が起きていて、特にパレスチナ・イスラエルコンフリクトなどは非常に根深い問題です。

橘玲さんのDD論と言う本に書いてあったことがちょっと面白いので紹介したいと思います。

詳しくは本を読んでいただくといいと思うのですが、特に今回のところでポイントになるところを紹介すると・・・。

過去の犠牲の記憶を想起することは重要でしょうが、その一方で際限のない憎悪の応酬と混乱を引き起こすかもしれません。事実、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの争いでは、どちらも過去の記憶にあまりにも強く囚われているように見えます。  

だとすれば、いったいどうすればいいのか。その有力な対処法は、思いがけないものです。それは「忘却」、すなわち過去を忘れてしまうことです。

ドイツ現代史を専門にする飯田芳弘さん(学習院大学法学部教授)は、ナチス幹部の裁判、ナチズム体制の協力者の公職追放などで過去を「克服」しようとした西ドイツの政策が1950年代に覆され、「過去政策」の名の下にナチ時代の犯罪者の恩赦や放免、ナチ協力者の再雇用・社会復帰が行なわれたことから、「戦後西ドイツの復興と再建の過程のある局面においては、「過去の忘却」を必ずしも一方的に非難することができず、場合によってはそれは必要であった」と考えるようになります(飯田芳弘『忘却する戦後ヨーロッパ 内戦と独裁の過去を前に』東京大学出版会)。  近代国家同士の総力戦である第二次世界大戦の悲劇を体験したことで、「記憶」が繰り返し想起されるようになりました。過去の過ちや悲惨な出来事を忘れてしまえば、ふたたび同じことが起きるというのです。

隣人同士が憎み合っているようでは、共同体を維持することはできません。独裁やファシズム、共産主義体制が長く続けば続くほど、自分は無罪でも家族や親族のなかに体制協力者が増えていきます。「正義」を振りかざすことで隣人たちから恨まれれば、いずれその「正義」は自分や家族に襲いかかってくるのです。  

敗戦後の日本でも、占領軍(GHQ)による戦犯の処罰がひと通り終わるとたちまち公職追放の解除が始まり、主権回復(1952年)の翌年には、旧社会党・共産党を含む全会一致で極東軍事裁判の戦犯に対する恩赦が行なわれています。日本の戦争責任の追及は不徹底だとしばしば批判されますが、そもそも戦争責任(加害責任)と真摯に向き合った国などほとんど(あるいはまったく)ないのです。

(中略)

第二次世界大戦の直後は、ヨーロッパでも日本でも「ファシズムの過去との決別」が(戦勝国主導で)行なわれましたが、それが社会を分断し脆弱な新生国家を崩壊させかねないことに気づくと、現実的な対処法として「忘却」がこっそりと(あるいは堂々と)導入されました。ドイツや日本にとって幸運だったのは、冷戦と核戦争の恐怖によって(日本の場合は朝鮮戦争の勃発もあって)、アメリカにとっては敗戦国を過度に懲罰せず、経済援助によって自由主義陣営に組み込むことが喫緊の課題になったことでした。

橘玲. DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある

こんな感じです。

たとえば、日本では、「アメリカに核を落とされて民間人を虐殺された」みたいなことを元に、国民の多くがアメリカに対して憎悪を持っている」ということはありません。内閣府が2023年1月に発表した最新の「外交に関する世論調査」によると、アメリカに「親しみを感じる」と回答した日本人は88.5%に達しています。

なんというか、あれほど激しくやりあったのに、今では日本におけるもっとも重要な同盟国でもあり、経済的な結びつきも深く、文化的な交流も多くあるわけです。

もちろん、核による被害などを忘れてもいいというわけではありません。平和を祈るために思い出したり、戦争などに陥らないようにしよう、というのはとても大事だなと僕も思っています。

しかし、それが、アメリカへの激しい憎悪に結びつき、アメリカと敵対関係にあり、いつかは復讐してやる、みたいになってしまってはいけないと思うのですね。日本はある意味、アメリカに対してそれが起きていないのは、幸運なことだなあ、と思います。

余談ですが、これは、日本人は戦争や空襲、原爆などを「自然災害」として記憶しているんじゃないかという仮説を持っています。ゴジラの映画が初めて出た時も、戦争の記憶を思い出させるようなものだったらしいんですが、ゴジラもどちらかというと「自然災害」に近いんですよね。

というので、自然災害と暮らしてきた日本人にとっては、忘却するというより「ひどい自然災害に遭った」みたいな感覚になっているから、忘れやすいいのかもしれないな、と思っています。

ともかく、「どちらが正義でどちらが悪だ」みたいな感じにせずに、DD(どっちもどっち)みたいな感じにして、手打ちにするのが大事だよねというのが本書で書かれていたことです。

しかしいま、その流れが大きく変わりつつあります。ロシアとウクライナや、イスラエルとパレスチナが戦争に至ったのは、双方が「記憶」に囚われ、憎悪の応酬を抑えるDD化が不可能になったからでした。「和解」とは、一方が正義で、もう一方が悪になることではなく、双方がDDで手打ちすることなのです。

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