無印良品的な、「シンプリシティではなくてエンプティネス」な考え方
こんにちは!
今日は、また「日本的な発想のプロダクトの勝ち筋を考える」みたいな会です。
slothというNFTを頑張って作っているんですが、そのあたりとも通じるところがあるな・・・と思っています。
エンプティネスとは何か?
無印良品のグラフィックデザイナーである原研哉氏が、spectatorという雑誌の「わび・さび」特集ですごく面白いことを言っていて、、
それは「日本のエンプティネス(Emptiness)」と「西欧のシンプリティ(Simplicity)」の違いです。
日本文学の研究で世界的に著名なアメリカ合衆国の日本学者のドナルド・キーン氏が日本人の美の概念は
「暗示ないし余情(suggestion)」
「いびつさないし不規則性(irregularity)」
「簡潔(simplicity)」
と述べたことがあるのですが、日本は割と「シンプリティ」を重視した文化がありそう、というのは直感的にはありますよね。
そして、原さんが関わっている無印良品といえば「機能主義だったり、要素を削ぎ落としたプロダクト」シンプリティの極みな気がするんですが、、
原さんからしてみたら違うらしいんですね。
原さんはそれを説明するために「空っぽ」という概念を説明しています。空という字が入っていても禅仏教などの「空」とも違うらしいんです。もうちょっと合理的な観点らしいんです。
ここでいう空っぽとは「無」ではなくて、見る人のイマジネーションを受け入れる空っぽのよう器と意味で使っています。「創造的な器としての空っぽ」と述べていました。
要するに、日本人が好むのは、「めっちゃ機能的で、簡潔で、要素が削ぎ落とされたシンプルなプロダクト」とかではなくて「人の創造性を掻き立てる部分がある、空っぽの器のようなプロダクト」なのではないか、ということですね。
ちょっと抽象度が高いですが、、、なんとかなくわかる感じがしませんか?
実例
このインタビューでは、ドイツのヘンケルスナイフの包丁をシンプリシティの一例として言っています。
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