誹謗中傷かどうかよりも、批判の量のほうが問題じゃないかなという話

悲しい事件がおきて、インターネット上での誹謗中傷が問題になっています。

「自分も誹謗中傷されて困っている」「誹謗中傷をやめて」などと、有名な人たちが発言したり、テレビで「SNSが問題だ」と特集組まれたりしています。

で、それに対する解決策がいろいろなところで書かれていますが・・・。

20年くらい、インターネットコミュニティ界隈にいて、自分でも運営をたくさんしてた経験からすると、割と的外れなものも多いんじゃないかと思ったので、筆をとります。

本当はこういう話題を取り上げるのも好きじゃなく、書いても自分にはメリットがまったくない上に、批判を浴びそうなので気がのらないんですが、、、なんとなく書いたほうが社会が前に進む可能性があるなと思ったので書いてみます。

誹謗中傷と批判を分ける意味があまりない

結論からいうと、「誹謗中傷と批判をわけてちゃんと考えよう。」みたいな言論を最近良く見ますが、これはあまり問題の解決にならないと思います。

そもそも、誹謗中傷がダメなんてことはたぶん大多数の人がわかっています。なので、やらない人のほうがまず多数です。

そして、結果的に誹謗中傷をやっちゃう人の半分くらいが、「強い批判として誹謗中傷ぽいことをいってしまった」であり、あくまで「批判をしている」と自分では思っているんじゃないかなと。

ということで、「相手をとことん貶めよう」という誹謗中傷する人って実はそもそも少数派なんじゃないかなぁ、、と。

じゃあ何が問題か・・・というと、単純に「まともな批判が、大量に来てしまう」という量の問題だと思います。

どういうことかとざっくり書くと「1人1人の批判は適切で、批判の範囲内であり、問題がなかったとしても、批判の量が多すぎると、受ける側のキャパシティが超えてしまう」ということが起こっているということです。

この問題の難しいところは・・・

- 適切に批判することは、認められることだし、社会をよくするにはとても重要なことである
- SNSによって、批判の量が可視化されるようになってしまったことが問題を加速させている
- 発信する側は1つの意見として適切にいっているのに、受け手が1万批判が来てしまうと、それで壊れてしまう

というので、いってしまえば「それぞれは適切に批判をしている人たちなのに、量によって暴力となってしまっている」ということなのかなと。

イメージするための事例

わかりやすい事例でいうと・・・。自分のこととして想像して読んでみてください。

たとえば、あなたは今日、家で送らないといけない書類があることに仕事中に気づいたとします。書類をクリアファイルに入れて送らないといけないけど、家にはありません。コンビニで買ってもいいんですが、1回のことに、クリアファイル10枚とかを買うのはちょっとバカバカしくなります。

そんな時、目の前に、会社の備品のクリアファイルがありました。そこであなたは、まあ、たいした値段ではないし、使っちゃえ、と持って帰りました。

しかし、それを見ていた同僚がいて「あの人、会社の備品を持って帰りましたよ」と総務に通報があります。

それで上司に呼び出されて「あのね、備品持って帰っちゃダメだよ」と注意されました。

それで、「あ、すいません、、つい、、」と謝罪します。上司は「まあ、安いもんだからいいけど、そう思ってみんながやるとすぐなくなっちゃうからね。やらないでね」と言われました。

これでこの出来事は終わりです。これがまあ普通のやり取りだと思います。備品を持ってかえって私用に使ったのは、たしかによくないことですが、一般論として、1回目であり、極めて安いものであれば「上司に注意されて終わる」くらいとも言えます。

しかし、あなたはインターネットでものすごい嫌われている人だったとすると・・・。このことがネットで晒されたことでこんな批判が来ます。

「窃盗はダメ。何考えているんだ?モラルってもんがないの?」
「人のものを自分のために平気で盗むなんて何考えているの?盗みがいけないって習わなかった?」
「ちょっとしたことだと思っているかもしれないけど、犯罪行為だからね。」
「自分では大したことないと思ってそうなところがムカつく。ものを奪われた人の気持ちとか、どう困るかとか考えてなさそう。」

これらは、あくまで批判の範囲内であり、内容は「盗みはダメ」ということくらいです。

やや表現がきつく見えるのは「クリアファイルを持って帰った」が「窃盗」になり「盗み」になり「犯罪」になったりするからです。大げさな表現に見えつつも、どれも誹謗中傷とはいえません。

もちろん、このくらいの軽微なものであれば使用窃盗となり、刑事上の犯罪とはならないので、正確とはいえません。だからといって、この批判がだめかというと、「会社の備品を私的利用するためにかってに持って帰る」というのを「盗み」といってるくらいなので、裁判で訴えたとしても「やや過剰だが、誹謗中傷とまではいい切れず、批判の範囲内である」くらいになりそうです。

こういう批判が数件だったら「いや、本当そうですよね、すいません」と受け止められると思うんですが、100個これが来ると、すごいダメージになります。

現実に置き換えると、上司に注意されたあとも、会社の100人から、次々と「なんでそんなことしたの?」「備品持って帰るのダメでしょ」と責められたら結構落ち込みますよね。

というので、単純に批判内容ではなくて、量が多いことでメンタルに来ちゃったりします。

するとどうなるか。人間、防衛本能があるので、あまりに責められると、反撃したくなります。自分がそこまでの批判を集中的に浴びるほど悪人だと認めるのは難しいからです。

具体的には

「いや、盗んだのは悪かったけど、クリアファイル1枚でそんなに言われることないだろ。他にも悪いことしている人いっぱいいるし、なんで私だけこんなに責められるの?」

とか書いちゃったりします。

すると大変です。さらに批判が膨れ上がります。

「犯罪をしておいて、なんで開き直るの?」
「他の人は関係ないでしょ?自分の罪について批判されているんだから。」
「盗まれた人の気持ちも考えてください。逆ギレするなんて、ありえないです」
「日本がこういう人ばかりになって本当に怖い。犯罪を犯しているのに、他ではもっと悪いことをしている人がいるからそっちにいけというなんて、あまりに自分勝手すぎる。」

みたいになっていくわけです。場合によっては

「私の父の会社は、備品を勝手に持ち帰るようなモラルのない社員たちのせいで潰れました。おかげで私は行きたかった学校にもいけず、働くことになりました。そういう想いをしている人もいるんです。おおげさでもなんでもなく、そういう深刻な影響を受ける子供もいるということをわかってください」

といった、似た事例で本当に困ったことがある人の発言とかもでてきて、共感を集めて、更に批判が続いてしまったりします。

もちろん批判している人たちは攻撃しているというつもりはありません。正義感を持って、正そうと思っていっているわけです。むしろ正しいことをしていると思っていますし、実際、間違った行為をする人に、間違っているということは正しいことなので、何も悪くありません。

批判している人たちは、何も悪くないんです。だから怖い。1の批判では単なる批判でも、100の批判になると気づかないうちに暴力になってしまうということが起こるのです。

もちろん、それぞれが1人1人の小さい批判なので「あなた一人が批判している時は正当だけど、100人同じ批判をしてたので、犯罪です」とすることはできません。にも関わらず、批判の量が多い、ということで大規模な攻撃と化してしまっているわけです。

ややこしいのが、批判している人は、他人の批判がそこまで見えないので、大規模な攻撃に参加してしまっている、ということに気づかなかったりする、、ということです。

じゃあ、何ごとにも批判をするなというのにしてしまうと、それはそれで社会がダメになっていくと思うので、批判を制限することも難しいです(し、すべきではないと思っています)。

さらにややこしいのが「行為を批判しているけど、実際はその人が嫌いだからやっている」というケースもあり、それを外部からは見抜けないことです。

たとえば、この事例ですが、普通の人ならあそこまで炎上することはほぼありえないのですが、すごく嫌われていたりすると起こりえます。それも、個人が嫌われているんじゃなくて、「親が政治家で、めちゃくちゃお金持ちの有名広告代理店の社員」とか「ネットで嫌われる属性を持っている」とかでも起こっちゃいます。

解決方法はあるのかしら・・・

というので、長く例を書いてみましたが・・・。軽微な事例でしたが、これがもっと大きな事例だったとしても、つきまとう問題だと思います。

たとえ、誹謗中傷がゼロの社会だったとして、すべてが正当な批判だったとしても、人によっては、すごい量の批判を浴びることで、大ダメージを受けてしまうのがあるのが問題じゃないか、というのが僕の考えです。

この事例の問題は、クリアファイル一枚を持ち帰っただけで受けるべきダメージではなくなってしまうということです。罪と罰のバランスです。そして、誰もバランスを取れる状態にいないことも解決が難しくなっています。

批判をしている人たちは、正当な範囲で、いうべき批判を、ただしているだけなので。批判した人たちが悪いという風にしてしまうと、別の問題が噴出します。

どうすればいいのかを考えてみても、たとえばSNSとかが実装して、批判が一定まできたら話題にでづらくするとか、不可視にするとかが思いついたんですが、「1件目の批判は見えるけど、100件目からは見えなくなる」とかが、言論を交わすプラットフォームとして正常か、フェアか、という問題になるので、実装は難しそう。

投稿時に「その投稿、誹謗中傷じゃない?」と出すとかの案も見ましたが、しているのが正当性のある批判の場合、それも乗り越えて投稿されちゃいます。

というので、結局「批判を受ける側が気にしない・スルーする」ということしか方法がないんですが・・・。気にしない人のほうが珍しいと思うので、それに頼り切るのがいいのかどうかはちょっとわからないです。

というので、対応法が僕には思いついていません。

個人単位でできること

というので、全体としての解決法は思い浮かんでいないのですが、個人的には、「その人がどのくらい批判されているのか」を見極めるということを意識しています。

悪いことをしているけど、誰も指摘していない、、という場合には、自分がそれは違いますよ、といったりします。しかし、100人に批判されている場合には特にいいません。むしろケア側に回ります。

その人のため・社会のための最大公約数をとって対応を変えるというイメージです。

結構よく見るんですが、「友人が炎上しているときに、まわりの友人が励ましているとかを批判する」というのもあり・・・。「身内が甘いの許せない」とか「友達でもちゃんと批判しろよ」という圧力をかける人も多いんですね。

「大変そうですね、何かあったらいってくださいね」とかいったとしても、それに対して

「人のものを平気で盗む犯罪者を励ますなんて、被害者の気持ちも考えろよ」
「みなさん、本当にお友達に甘いですね。まわりがそういう人ばかりだから、人のものを盗んでも、平気な顔をできるんでしょうね。」

とか言われちゃうので、おおっぴらにするのは難しいんですが・・・。

自分が101件目の批判をしたら、どんなに内容が正しくても、それは101件目だから攻撃になってしまう、ということがあるかなと思って気をつけています。

というわけで、、

というわけで、本当になかなか解決が難しい問題ですが、大事なのは

- 誹謗中傷をなくせばいい、という安易なものに飛びつかない
- 匿名性がなくなればいい、という安易な答えに飛びつかない

ことかなーと思ってます。

誹謗中傷をなくそうとし、匿名性をなくして完全実名制にしても、「本名で、正しい批判を、正しくする人が、大量にいると同じ問題がおこる」と思うので。

というので、大変に難しい問題ですが、考え続けて、何か解決策を実行しないといけないなーと思っているこの頃でした。

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コメント (15)
同旨のことを考えていました。
なお、論旨から遠いことは承知していますが、今回の事例の場合、使用窃盗として不可罰であるという整理は正確でないように思います。
おそらく批判の数百倍誹謗中傷がきているはずです。しかも誹謗中傷を流したのはごく少数でそれがリツイートされて拡散されたはずです。そういう記事を見ました。まず前提が違うと思います。
たとえがすごくわかりやすく、説得力がある。
わかりやすいわねぇ。根本は前からあるバカッターの問題と同じってことねぇ。
根本的に人の持つ行動なんでしょうねぇ。
個人が双方向でオープンな場所で大量の批判が来ても大丈夫になっていかないとダメかもねぇ。
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